2023/05/01 13:26

美しさを”消費する”楽しみがアート作品ならば、便利さや機能を消費するのが道具でしょうか。
アートと道具、美しさと便利さ。しばしば対比される2つの概念は、著作権と特許・意匠権という2つの法律区分でも明確に分けられています。
一方で、庶民には手が出ない高価な工芸品、例えば茶碗や皿などの焼き物は、アート作品としてコレクションや投資目的で購入され、あるいはギャラリーや美術館に飾られています。
道具の名をかたりつつ本来の道具としては全く使用されることがありません。
使われるつもりがない”道具”。道具のふりをしているアート。

駄具道では、これをひっくり返して、普通に買える日常使う道具をアート作品(オブジェ)として売っています。
アート/道具、著作権/特許権の二元思考を問うような、ある種のパロディーかも知れません。

西洋哲学の基礎となっているデカルトの二元論(善/悪、心/身、人間/自然、白か/黒か)。
でもこれにとらわれ過ぎると、世界が狭くなり生きにくくなります。

どのようにすれば二元論にとらわれすぎないように出来るでしょうか?
仏教では2000年以上前に一つの答えを出していて、世界を2元論的に見てしまうのは人間の認識力の偏りで、幻想であるとしています。
西洋でも古代ギリシャ哲学や、19世紀にヘーゲルがまとめた弁証法などで、二元論を相対化して超えていくアイデアが語られました。

駄具道では、アート(オブジェ)と道具の対立を超える、あるいは融合する視点と、
さらに美しさ(アート)でもなく便利さ(道具)でもない第3の価値を密かに込めて提案したいと思っています。